Aaki Hikaru

読書・自然 / 写真・語学・ドラマについて

生き方を見つめる『ぎょらん』町田そのこ

訪問いただきありがとうございます。カオルです。

2023年の初記事は、町田そのこさんの『ぎょらん』の感想です。

町田そのこさんの作品は、2021年に『52ヘルツのクジラたち』が本屋大賞受賞しました。

作品

タイトル: ぎょらん

著  者: 町田 そのこ

発  行: 新潮社

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あらすじ

死者が遺す赤い珠「ぎょらん」は、その者の”最期の思い”が形になったもの。それは受け取る生者にしか見ることができず、死者の肉体と共に消滅する。朱鷺(トキ)はある身近な人間のぎょらんを口にし、十年という長い月日を部屋に閉じこもり過ごしたが、母親の具合が悪くなったことをきっかけに社会復帰し、葬儀屋 天幸社に勤める。そこで出会う死者と向き合う人々の物語と「ぎょらん」の真相を巡る連作短編集。ぎょらんを口にした朱鷺は一体何を見たのか。「ぎょらん」とは一体なんなのか・・

感想

都市伝説のような「ぎょらん」の謎を追う話と同時に、身近な人間との別れを経験した人々が、深い悲しみを乗り越えていく人間ドラマが繊細に描かれています。

何度も胸が締めつけられました。人と人が心を通わせることの大切さ、接し方の重要性、自分はこの生涯をどのように終えるのか、そんな壮大な課題を得ることができました。

自分だけが知る罪

印象的だったのは、罪と後悔に苦しむ人々。償いたくても相手はもうこの世にいないという現実の中で、苦しみながらも支え合い生きた夫婦の話「夜明けのはて」

2人は「自分だけが知る罪」を共有していました。

「自分だけが知る罪」というのは、実際に相手を傷つけたのではなく、心の中で相手の不幸を願い、傷つけ、それが現実となって生まれてしまった罪の事。

 

あなたのせいじゃない。きっと何度だって言われただろう。だけどそんなこと、助けにならない。罪だと自分で分かっているものを他人に赦されても、救われるはずもない。 引用  「夜明けのはて」(『 ぎょらん 』より)

傷つけた相手に許されて初めて、自分を許すことができる。相手も知らない、自分だけが知る罪をどう償えば良いのか。

 

僕は、命に対する贖罪なんて突き詰めればできないと思ってる。一生をかけて自分なりの償い方を模索するしかない。自分の選んだ道が正しかったのか、ましてや許されるかなんて精一杯のことをして死んだ後にしかわからないことだ。引用  「夜明けのはて」(『 ぎょらん 』より)

たとえ罪を犯したとしても、生きている人間には、罪と向き合い償う時間がある。

 

いつ、自分が背負うことになるかわからない身近な罪。家から職場までの間に、頭の中で最低一度は、愚痴を垂れている自分が怖くなりました。

そこで「举头三尺有神明」「頭上三尺に神あり」という言葉を思い出しました。頭を挙げるとすぐ上に神がいて、良いことも悪いことも神は見ている、という意味です。信じるかどうかはさておき、意識しながら日々を過ごすことは結果的に自分や誰かを守る盾になるのではないかと思いました。

 

小話 初めての読書と”ごめんなさい”

「ぎょらん」を読んで思い出した懐かしい記憶。私が厚めの本を1冊まともに読み切ったのは、中学入りたての時でした。作品はアレックス シアラー著「青空の向こう」

幼い主人公が家族と喧嘩別れをしたまま事故に遭い死んでしまう。それから幽霊となって現世を旅するという内容だったような・・・。 ← 記憶曖昧です。

読み終わってすぐに、恐怖で本を捨てた記憶があります。こんなふうになりたくないし、死にたくない。当時は理解力に乏しく、悪いことをすると主人公のようになってしまうと誤った認識をしてしまったようです。それからは、とりあえず「ごめんなさい」を言う子になっていました。私の謝り癖はここが出発点だったようです。

今では謝罪に心がなくなり・・・原点を思い出しました。

ーー なんだか懐かしい読後感でもありました。

 

もし本当に「ぎょらん」があるとすれば、いつかその時が来た時、自分は大切な人の心に何を残してあげられるのだろうか。繰り返す毎日に何か変化を起こすきっかけになる一冊でした。

今回の相棒

今日の香りは金木犀金木犀の香りって心地よくて、少しだけ切ない気持ちになるんですよね。

【写真】紅葉記録 「京都・天台宗 大原三千院」【秋の四字熟語】

ご訪問いただきありがとうございます。今回は2022年11月に行った紅葉レポートです。

雨あがりの秋空の中、味のある写真が撮れました。

場  所 : 京都 【天台宗 京都大原三千院

三千院は紅葉スポットではありませんが、祖母の希望で行くことになりました。

祖母は50年前にここを訪れたことがあり、思い出の場所だったそうです。 

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門の裏側を撮ってみました。

 

三千院ってどんなところ?

三千院延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄比叡山東塔南谷の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まります。皇族が住持する宮門跡となりました。寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を火災や応仁の乱などにより幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と呼称されてきました。明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されるようになりました。明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史を紡いでいます。

天台宗 大原三千院  HPより

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有清園 (ゆうせいえん)。緑の苔の上に落ちる赤い葉も綺麗です。

 

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聚碧園(しゅうへきえん)廊下の窓から見たお庭の景色です。

 

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朱雀門。赤々しくて美しいです。

秋と孤独

私は四季の中で秋が一番好きです。

少し肌寒くなって、だんだんと木々が赤と黄に染まるこの季節、私は決まって孤独を感じます。夏の暑さで忘れていた孤独が、ゆっくりと顔を出してくる。頭に浮かぶのは、「なぜ、だから?どうして

それまで気にならなかった物事に意識が向かい出す。でも自分と語り合うその時間が結構好きだったりします。

めんどくさい、考えたくないと思うことは秋空の下で解決をする。朝薄暗い空を見上げてみたり、夜に真っ暗な空を見上げてみたり。冷た過ぎない心地よい秋風が、平常心を保たせてくれる。すっきりさせてくれる。

自分と向き合う時は、環境場所選びも大切だと思います。

 

「秋」に関連する四字熟語

秋天一碧 (しゅうてんいっぺき)

雲ひとつない秋空のこと。真っ青で、晴れた秋空。

 

秋風索莫 (しゅうふうさくばく)

盛んであった勢いが弱まり寂しいこと。秋風が吹き、もの寂しい様。

 

紅葉良媒 (こうようりょうばい)

紅葉がご縁の仲介人であるという意味。

中国唐の時代の故事が由来。落ち葉に詩を書いて、川に流したことが縁に繋がり、結婚したそうです。

 

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京都名産の千枚漬けを買ってみました。消費期限が一週間と短かったですが、その分スーパーなどで購入するものと違って、甘味が控えめでとても美味しかったです。

白米が進みます。おすすめです。

深く切ない物語『汝、星のごとく』凪良ゆう

ご訪問いただきありがとうございます。ひかるです。

今回は、凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』の感想、紹介です。

凪良ゆうさんの作品は、2020年には『流浪の月』が本屋大賞受賞、2022年には映画化されました。

作品

タイトル: 汝、星のごとく

著  者: 凪良 ゆう

発  行: 講談社

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あらすじ

自然豊かで海の美しい小さな島、人々の日常は噂となってあっという間に島中に知れ渡ってしまう。そんな不自由さを感じる小さな島で、家庭環境に問題を抱えた高校生 暁海(あきみ)と櫂(かい)。2人は同じ境遇から引かれあい、支え合い、強い絆と愛を育んだ。卒業後、夢を叶えるために島を出た櫂、島に残らなければならなかった暁海、2人の恋愛とそれぞれの成長、人生を描いた作品。

感想

この作品は主人公 暁海と櫂の視点別に書かれているので、それぞれの感情を知ることができる。視点が変わる度に先が気になって読み進める手が止まらなくなってしまう。

恋愛だけでなく ”家族関係”や”生き方”といった要素も強く感じさせるので深く胸に響く。

家族のしがらみによって島に残った暁海に敷かれた人生のレール、不自然に置かれた場所。このまま進むことが最善なのかと疑問を感じながら日々生きることへの葛藤。

思い描く未来への理想と、虚無な現実との差を感じ、自分を無力だと責めることをやめられない。抜け出したいけれど、手段がわからない、その場所へ飛び込むことが怖い。

そんな現実的な葛藤が深く描かれています。

同じ環境や経験を持つ読者を強く惹きつけ、最後には前向きな気持ちにさせてくれる作品。

家族

これは私の個人的に思ったことですが 、子供に悪い影響を与える親であっても、子が親と距離を置くことは難しい。

「血は水よりも濃し」と言いますよね。ドイツ語が由来で、血は水と違い蒸発ぜず凝固する。そして水よりも濃く重い液体だそうです。

深く切れぬ縁という意味では、愛情も憎しみも近いように感じます。

私は幼少期から、いい歳になるまで母親とは別々に暮らしていましたが、いつも心のどこかに存在を感じていました。

以前、母親から若かりし頃の色恋について話を聞いたことがあったけれど、どこか別世界の遠い話のように聞こえました。自分の親の恋愛事情となると、どうも感情を掴めずでしたが、作品を通して親も一人の人間であることを改めて意識させられました。

他人の目と自分の目

暁海の住んでいる小さな島は、常に他人の噂話が絶えず周りの目が気になる環境です。

私も常日頃、他人の目を気にして生きている人間です。今の行動動作は、あの人の目にどう映っただろうか。今言った考えは、相手にどう聞こえたのだろうか。

そんなことをいつも考えているものの、他人からの評価は「不思議ちゃん・変わった人・宇宙人」なので、無駄骨を折っています。私ってかわいそうですよね 笑

私から見ればあなた達が変わってると言いたいところですが、多少自覚があるし、その目や評価で得することも多いのでこの辺にしておきます 笑

__人々が思う”当たり前”や”常識”って何なんだろうか。

倫理観があることを前提として、「なんかよくわからんが周りがそうだから自分もそう思う常識」って数々あると思います。

当事者同士が納得して取り決めた事柄であっても、それが周りの人達の感覚とズレが生じれば、変わった人たちと受けとられることがあります。

人の目が気になってしまう理由の多くは、一人になりたくない、集団からはみ出す恐怖かなと思います。

他人の目や噂は、ときに味方になって”人生を生きやすくする”、ときには敵となって”人生を不自由”にする。

「自分の人生を生きること、他の誰かに許されたいの?」

引用 「汝、星のごとく」

恋愛と絆

夢を叶えるため島を出て成功し大きなお金を手に入れた櫂と、島に残って仕事を始めた暁海。互いに生きる環境が違い、仕事に対する考え方やお金に対する価値観を理解し合えなくなる。恋愛だけでなく、2人は辛い高校生時代を共に支え合ってきた絆がある。

それぞれが、互いの成長と変化に心揺らぐ中でどう決断をするのか。

自分がどうありたいかの選択権は、いつでも自分の中に在る 

引用 「汝、星のごとく」

櫂の暁海に対する想いが印象的でした。

愛の形はさまざま

人生を共闘する結婚。周りの友人や読書で得た知識から、いろんな愛の形を知りました。

私は生涯一人の男性と寄り添い、浮気は許さず、自分もしない、死後も来世も添い遂げるという考えの持ち主で、めっちゃ恐くて重い女です 笑

そのため凪良さんの作品には毎回、愛の刺激を受けまくっています。

わたしは愛する男のために人生を誤りたい。

引用 「汝、星のごとく」

私にとって、この作品はハッピーエンドではありませんでした。読者によって受け取り方が変わる終わり方だと思います。

まとめ

こんな人におすすめです↓

・泣ける恋愛小説が読みたい

・家庭環境に恵まれなかった

・自分の人生に悩んでいる

・他人の目が気になって辛い

 

どんな環境であっても、自分の人生を諦めてはいけない。

他人と自分を比べることより自分自身から目を背けてはいけない。

他人の目を振り切って、胸を張って自分の人生を生きることの大切さ。

今の自分に必要な本でした。

それにしても切ない・・・

【ドラマ】あまりに切ない物語『周生如故(ONE AND ONYL)』感想

 

 

ご訪問いただきありがとうございます。

今回は、華流ドラマ『周生如故 (ONE AND ONYL)』の感想です。

私が人生で一番泣いたドラマです。とにかく余韻が長く、深い悲しみが纏わりついた作品です。

作品

タイトル : 周生如故 (ONE AND ONYL)

原  作 : 一生一世,美人骨 ( 作家:墨宝非宝)

主  演 : アレン・レン(任嘉人)/ バイ・ルー(白鹿)                                  

原作は中国の作家 墨宝非宝の小説『一生一世,美人骨』

現代編『一生一世』と、古代編『周生如故』の2作がドラマ化されています。

今回は、前世である古代編『周生如故(ONE AND ONYL)』について書きます。

※人名にフリガナを打っておりますが、私の感覚ですのでご了承ください。

※ネタバレになる可能性があるので、何も知りたくない方は注意ください。

登場人物・キャスト

漼时宜 (ツイ・シューイー) / 白鹿(バイ・ルー)

名門漼家の一人娘。皇太子と生まれる前から婚約をしている。

幼い頃に父親と離れることになり、ショックで失語症になる。

周生辰(ジョウシェンチェン)に弟子入りすることになるが・・

 

周生辰(ジョウシェンチェン) / アレン・レン ( 任嘉伦 (レン ジャー ルン))

前皇帝の弟。幼い頃に王族の名を放棄し”宮廷(中州)に足を踏み入れない”と誓いを立てていた。その後、軍を率い民のために辺境の地を守っている南辰王。優れた人格に「美しい骨(容姿)」を持っており、民から慕われている。

戦場で多くの功績を残しており、彼の強い力は宮廷内で、恐れられ警戒されている。

漼时宜 (ツイ・シューイー)を弟子に迎えることになるが・・

あらすじ

兄(皇帝)の訃報を受け取った周生辰は、宮廷がある中州へ戻ることを決意する。その頃、中州宮廷内では強い力を持つ周生辰が戻り、次期皇帝の座を奪うのではないかと危惧していた。戻った周生辰は彼らの警戒心を解くため、次期皇帝の前で"一生嫁をもらわない、子も残さない”と誓いを立てる。

そこで太博 漼广は宮廷、漼家、南辰王の良好関係を築く名目で、自身の孫娘である漼时宜を弟子に取るように頼み、周生辰は受け入れる。

弟子になった时宜は周生辰に憧れ惹かれていく。周生辰は宮廷との距離を保ちながらも、自分を慕う幼い皇帝(甥)を守り支持するが、周囲の思惑が渦巻き、権力争いに巻き込まれていく。

感想

視聴前から”涙なしには見られない、しんどい、涙が止まらない”と噂を聞いていたのですが、結果その通りで号泣しました。視聴後は放心状態でした。

英雄になるまでの道を描く感動作品は多くありますが、英雄がゆっくりと悲劇的道へ引きずり込まれる作品は初めて見ました。恋愛ドラマではありますが、私は”英雄の一生”を描いた部分に強く惹かれました。

誰一人として救われない結果でしたが、ただの悲劇では終わらず、心に悲しくも美しさを残す素晴らしい作品でした。続編がある事が救いです。

英雄の孤独

周生辰は家族である弟子達が10人、11番目の弟子である时宜。いつも周りに人がいるけれど、涙を流す時は静かに1人孤独。幼少期から軍を率い、何かを守るに徹してきた彼は、誰にも心の弱みを見せることはありません。ただ平和を願い闘い続けてきた彼に降りかかったラスト。

” 結局何のためだったの・・・”(时宜)

彼が苦しみ葛藤したのは何の為だったのか。

愛するということ

”ただ彼のそばにいたいだけ” 时宜は周生辰に対して多くを望んでいませんでした。

陪伴是最长情的告白という句を思い出しました。以前、海外の友達から教わりました。「ずっと側にいる事が、深愛の告白である」という意味です。元は小説からきた言葉のようですが、今ではドラマや歌詞にも使われているようです。

たとえ結ばれない恋だとしても、ずっと側にいる。家族、友達、愛する人にずっと寄り添う。愛情に時間は関係ないとは言いますが、人と人が長く関係を保つことは簡単なことではないと私は思います。とても素敵な言葉ですよね。

ここが見どころ

周生辰と时宜は、最後まで想いを伝え合うことはありません。2人が見せる表情、深い想いを秘めた眼差しは、悲しさと苦しみと僅かな希望がこもっていて、私の心を捉えて離しませんでした。周生辰は葛藤と愛しさを、时宜からは憧れと決意が伝わります。

2人共に落ち着いた役柄で、動きや表情を抑えて目で魅せる。素晴らしい演技でした。

演出

全体的に映像・音楽が美しいです。映像は壮大ですが、落ち着いた色に収まっていて、物悲しげで美しい。

私はこの作品を2回視聴しました。ラストを迎えた時に、最初の出会いのシーンに戻りたくなる衝動に駆られたからです。そういう演出なんだろうと思います。同じ衝動に駆られた方はぜひコメントください 笑

各所に色んなシーンが繋がるような演出が詰まっており、特に「雪と城上」シーンは圧巻です。

音楽・楽曲 OST

♪  如故 /  张碧晨  

   聴いてると思い出して泣きそうになります。

♪  如一  /  任嘉伦  (劇中歌)

   周生辰役の任嘉伦が歌っています。

♪    / 金玟岐  (劇中歌)

♪  定心 / 郑云龙  (劇中歌)  

♪  不沦 / 阿Yue Yue  (劇中歌)

YouTubeでも聴けると思うので、興味のある方はぜひ。

まとめ

↓こんな人におすすめ

とにかく思いっきり泣きたい

品のある恋愛ドラマが見たい

切ない気持ちになりたい

 

ついに日本に上陸します。”中国全土が泣いた作品”だそうです。

衛星放送さんで『周生如故』が12月に 1話 先行放送、2023年 1月から本放送開始

続編の『一生一世』は 2023年春頃から放送されるそうです。

 

”辰比一生  不负天下 唯负十一”(周生辰)

とにかく泣けます。これ以上の作品には出会えないと思います。

 

温かくて切ない 歳の差恋愛『センセイの鞄 』 川上 弘美

川上弘美さんの『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞受賞)作を読んだ感想を書きました。

この作品大好きなんです!!

ネタバレになる可能性がありますのでご注意ください。

作品

タイトル : センセイの鞄

著  者 : 川上 弘美

発  行 : 新潮文庫

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あらすじ

ツキコが高校時代の国語教師”センセイ”と居酒屋で再会する。年齢の離れた2人が、想い合い、彩のある時を共に過ごす話。

感想

2人の再会から始まり、センセイとの静かな日々が丁寧にゆっくりと描かれていています。居酒屋で2人が並んで、食と酒を楽しんでいる情景が浮かびます。

けれど読んでいる最中、なぜか・・少しの不安が、ずっと付き纏っていました。

ツキコとは共通点が多く、自分を重ねて読んでいるからなのか、それともセンセイが見せる”普通のイケてる男”感が原因なのだろうか・・・

70代のセンセイと30代後半のツキコは、時に歳の差を感じさせませんでした。

センセイには、ツキコをからかったり、喧嘩して頑固になったりと、お茶目な一面があります。

私も歳の離れた男性とお付き合いした経験あるのですが、当時は「自分よりも人生経験があるくせに、大人げないな〜折れてよ」なんて思っていました。

今になってわかる事ですが、自分も相手に対する”好きを伝える表現”愛する人への自分の表現方法”は、歳を重ねた今も変わっていないと、恥ずかしながら感じています。

相手を理解する能力に関しては、多少時間をかけて経験を積む必要があるかもしれません。

個人的な意見ではありますが、相手を想う気持ちや表現に、年齢は関係ないと思いました。

この不安の正体は、大切な人がいつ離れていくかわからないことを、この作品を通して、改めて感じたからなのかもしれません。今のこの瞬間も大切な人との時間を大事にしようと思いました。

 

 

センセイという魔法の言葉

過去に私が言ってきた「先生」に続く言葉は決まって「わかりません」でした!笑

先生方は、私のどんなくだらない「わかりません」に対してもちゃんと答えをくれてました・・なんだか「先生」って言葉、安心感に包まれます。

「センセイ、と呟いた。センセイ、帰り道がわかりません。」P 98

ツキコのこの一言が本当に本当に本当に胸に刺さりました。

「センセイ」と呼んだ意には、指導者的立場 教師としての意味も含んでいたんじゃないかと思います。

私は今何してるんだろう〜私のこれまでの選択は正しかったのだろうか・・・

先生〜教えてください (/ _ ; )

 

袖すり合うも多生の縁

ラストはこの言葉が頭によぎりました。

センセイがツキコに言う言葉なんですが、私この言葉大好きなんですよね。

私は「袖振り合うも多生の縁」しか知らなかったのですが、調べてみると言い方が何通りかあるそうです。

来世も、センセイとツキコの縁が結ばれますように。

 

 

虚と真が揺らぐホラー京極 夏彦『虚談』京極 夏彦

ご訪問いただきありがとうございます。ひかるです。

今回は京極夏彦先生の『虚談 (談シリーズ)』の感想・紹介です。

ホラーが大好きな私のおすすめ作品です!

※ネタバレになる恐れがありますのでご注意ください。

作品

タイトル: 虚談 (きょだん)

著  者: 京極 夏彦

発  行: 角川文庫

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あらすじ

元デザイナーで小説家の「僕」は、知人友人からよく相談を受ける。「ナッちゃんはそういうの駄目な口やろ」と笑いながら、デザイン学校時代の齢上の同輩、御木さんは奇妙な話を始めた。13歳のとき山崩れで死んだ妹が、齢老い、中学の制服を着て、仕事先と自宅に現れたというのだ。だが、彼の話は、僕の記憶と食い違っていた。(「クラス」)。

この現実と価値観を揺るがす連作集。

引用元 裏表紙より

感想

初めて「虚談」というタイトルを見た時は、単純に”嘘話し”と読み取りました。

印象的だったのは、ほとんどの話の中でどこかしらに ”嘘” という言葉が書かれていたことです。

嘘だとわかっているのに、妙に不安な気持ちになり、体温がじわじわと下がる感覚。

どこまでが真実なのか、この嘘は本当に嘘なのかと疑うことをやめられない物語展開。

淡々と語られる話は、真と虚が奇妙に混ざり合い、ある矛盾から起因する不安が、身近で現実的な恐怖へと変化する。

この”嘘”という前置きが故に不気味で、いつまでも不安を拭えないんです( ;  ; )

個人的に、目次に沿って最後まで読むことをお勧めします。

自分の記憶

記憶ってとても不確実なものだと思います。

私は幼少期の記憶の中に、家族で遊園地に行った時の映像が鮮明にあります。

だけど親に確認したところ、どうやらそんな事実はなかったようです。こわいですよね。

この作品はそんな身近な恐怖を感じさせてくれました。

 

体験してない過去だの、存在しない友人だの。

そういう虚構がふと現実になって混じってくることは、あるだろう。

引用(クラス)P143

 

自分の作り出した"虚"も、今を生きている自分のすぐそばにあるものであり、ある種の現実なのかもしれません。

 

僕は、見聞きしたから真実だと言い張る自信がない。記憶しているあらゆるものごとが真実だと断言することも出来ない。自分が知っている自分のことも、必ずしも本当とは思えない。嘘かもしれない。

もしかしたら。

今、見聞きしているこの現実らしきものこそーーー。

嘘なのかもしれないのだし。    

引用(クラス)P143

小話(夢)

これは昼寝の時に、頻繁に見る夢の話です。

一人暮らしの私の休日は、いつもダラダラと昼寝三昧。

どんな夢かというと、起きようともがくけれど、起き上がれないという夢。

体が鉛のように重くて、何度体を起こそうとしても、何かに押さえつけられているかのように動けない。寝返りもうてない。声も出ない。

その夢は、現実で起きられない自分と葛藤している姿なのか、それとも夢の中で行われている葛藤なのかはわからない。けれど、その体や思考の感覚はあまりにリアルだ。

よく脳が疲れると、このような状態になるとどこからか聞いた事がある。

そう考えると、現実寄りの出来事なのかもしれない。

目に映る部屋の景色は、今自分が寝ているベッドに違いないのだから。

そんな夢は存在しないのであろう。

この夢は20歳を過ぎた頃からこれまでに何度も見てきたが、未だに夢なのか現実なのかどちらなのかはっきりとは自分でもわからない。

だけど現実であれば、納得いかない点が1つある。

 

 

じゃあ、側でいつも自分を見下ろしているあの男は誰なんでしょうか。

 

幻想的で哀愁漂うホラー『夜市』恒川 光太郎

ご訪問いただきありがとうございます。

今日はこの季節に合った小説、恒川光太郎さんの『夜市』(日本ホラー小説大賞受賞作)を読んだ感想を書いていきます。

『夜市』と『風の古道』の2篇が収録されていて、個人的には「風の古道」のほうが好きです。

小さい頃って、人気のない小道や獣道を探しては入ってみたりしませんでしたか?

子供の頃ってそういうところに自然と引きつけられるんでしょうか・・・

「夜市」は2作ともに幻想的な世界に引き込まれ、どこか懐かしさを感じさせます。

作品を読んで思い出した、私のくだらない小話も書いてます。よろしくお願いします!

あらすじ

夜市

主人公の裕司は小学生の頃に弟と二人で不思議な市場「夜市」に迷い込んでしまう。

そこでは妖怪たちが様々な品物を売っており、裕司は"あるもの"と引き換えに、野球の才能を買った。

大きくなった裕司は、"あるもの"を買い戻すために、再び夜市を訪れるが・・・

風の古道

人間には見えない、世界中へと繋がっている道。道を通るのは人の世の者ではなくて・・

そこへ迷い込んだ主人公と友人は、ある男と出会い短い旅をする。道を進むそれぞれの目的と出会い、全てが繋がった時、衝撃の真実を突きつけられる。

感想

文章が頭に入りやすく読みやすいのに、奥深さを感じる。

幼い頃って善悪の判断は出来ても表面だけで、裏までは見えないだろうし、その判断の先に何があるかなんてわからないと思います。

ましてや異界にいるなんて、わからないと思うんです!いや・・大人でも無理ですね。私なら無理です。何も出来ません。逆に子供の方がこういう時には勇敢なのかもしれない。笑

だから発端となる出来事はどうしようもなく、避けられない事と言いますか・・

辛い別れもあり、物語の悲しさと寂しさを感じますが、舞台の幻想的な世界は美しい!!読後は、心に哀愁残る作品でした。

小話(猫神さま)

小学生の頃の話なんですけど・・・

当時、私の住んでいた地域は新築のマンションや一軒家が立ち並ぶ地域と、古民家が密集している地域が、大きめの道路を挟んで左右に分かれていたんですよ。

古民家の並ぶ地域の一部は、家と家の間に人が一人通れるような隙間があり、いろんな道へと繋がっていて、まるで迷路のようでした。

その日、いつものように親友のエミちゃんと下校していたんですけど、「エミの家の近くにめっちゃ猫がおる秘密基地見つけた、教えたる!」と言ってきたんです。

彼女は古民家側の地域の住人で、何度か遊びに行ったことがありました。外壁に囲まれた大きくて立派なThe日本の家みたいな感じです。

秘密基地を目指し歩く彼女は、自宅の門を通り越し、少し行った所で、向かいに並ぶ家と家の間の細い道へ入って行った。道なりに何度か曲がり、通り抜けるとマンホール程度の小さな広場に出たんです。

その先は、緑がお生い茂り、薄暗くじめっとしていて、雨が降った後のような青い匂いと木の香りがしていたのを覚えています。

ちょっと怖くなった私は、「こんなところにほんまに猫おるん?」と聞くと、「おるよ、ついてきて。あの木の下やねん」と彼女が指差した先には一本のビワの木。

よく見ると、目の前に小さな獣道ができていて、エミは迷わず屈んでぐんぐん進んで行っちゃいました。めっちゃ怖かったんですけど、帰り道もわからなくなっていたので、仕方なく半泣きで着いて行ったんです。

虫もたくさんいてゾワゾワしながらエミの背中を追いかけていると、突然立ち上がったので、あっ着いたんだなと思いました。

木の下には、古びた木の丸椅子、上に黒い猫がちょこんと座ってました。その下にも黒い猫が2匹並んで座っていて、視線を上げると目の前に小さなお庭があったんです。

数匹の猫に囲まれたおばあさんが縁側に座って、じっとこちらを見ていた。じっと立ってる私達に、おばあさんは手招きし「いらっしゃい、こっちおいで」と言ったんです。

その優しい笑顔を今でも鮮明に覚えています。

猫達も優しくて、私たち子供相手でもじっとして触らせてくれてました 涙

それから私たちは毎日「猫神さまと猫達」に会いに行きました。

けれど悲しいことに・・長く続かず・・

猫の毛を毎日大量につけて帰っていた私は、母親に問い詰められ、2人の秘密”猫神さま”について話してしまったんです。

もちろん、ブチギレられました・・・危ない道を通る事、知らない人の家に行くこともダメ!それから、あの人は猫神さまではなく、猫を飼っている優しいおばあさんなんだよとしつこく説明されました。

どうやらエミも親に同じような事を言われたようで、それから私たちはあの場所へ行くことはありませんでした。それから月日が経って小学校6年生になった私たちは、こっそりと猫神さまへ会いに行くことにしました。

すると驚いたことに、前に通っていた細い道の先が壁になっていて、あの緑の広場に出ることができなかったんです。その時、やっぱりあの人は猫神さまで、会いに行かなくなった私たちに怒って道を塞いでしまったんだ。絶対にそうだと!と当時は思っていました。

数年前、気になって行ってみたのですが、猫屋敷はありませんでした。

真相はわかりませんが、元々あそこは空き地になっていて、持ち主が空き地ごと家を建て替えたのではないかと思います。

当時は小さかったので、生えっぱなしの雑草が自分達よりも背が高く、周りの建物も見えず、不思議な森のように見えたのかもしれません。

でも、あのワクワクドキドキした体験は今でもいい思い出です。

 

終わり